3月31日

自分の足で歩いたという感覚はない。空港にある歩道、乗っかると自然に動いて終点に着く。そんな感じで三月も終わる。世の中の動きは激しい。特に去年から続くコロナ騒動で、全ての時間が動かされているような感じだ。東京も大阪も恐ろしいほどの感染数が続く。何故?と思う。怖くないのかな。警告を無視して飲んだり食べたりするからこういうことになる。ねえ、怖くないの?

私は警告に従っているわけではないけど、それは単に足が動かないからなのだけど、一日中ぬりえをして過ごしている。スマホのアプリにぬりえというのがあって、それは際限なく毎日新しいのが提供されている。色の指定があるのでただパレットの番号に従って塗りつぶしていく。技術はいらない。必要なのは根気と時間だけ。その二つはある。時間なんて持て余すほどにある。

完成すると素晴らしい一枚が出来上がる。こんな絵が自分の手で描けたら幸せだろうけど、それは全く無理。ただ命じられたことを命じられた通りに黙々ととこなす。ぬりえ。たくさんの趣味と言われるものには刃向かった。どれも身についていない。ぬりえ。なんて私に相応しいことか。思えば私の人生そのもののように思う。

こう書くのはちょっと厚かましいかもしれない。私は塗り絵のように、従順に与えられた色に染められはしなかった。いつも何かに抵抗していた。いつも果てしなく遠いものを夢見ていた。身の程知らずの見果てぬ夢に疲れていた。そんな人生の最後にぬりえと出会った。この塗り絵のように、与えられた色に素直に染められていたら、ただ運命を受け止めて、完成するのを黙って受け入れていたら。そんなことを思いめぐらせながら、今日もせっせと色を塗る。

直ちゃん、あなたの人生は常に開拓精神に満ちていたね。チャレンジの人生だったね。きっと今、少し休みなさいという神さまの配慮なのかもしれない、なんて私は言わないよ。分かってるよ。辛いよね。苦しいよね。頑張ろうね。ぬりえを見せてあげるからね。