3月24日

直ちゃん、今日も終わったね。きっと朝から晩までリハビリが続いているのだろうね。辛いだろうけど、今の理学療法というのはすごいradicalだから、しがみついて頑張ってね。人間の潜在能力は、私たちの理解や想像を遥かに超えている。それを私たちは何とよぶのだろう。パラリンピックの選手たちの運動能力は驚嘆するよね。それはどれほどの努力の結果だとしても、百人が百人、同じような結果が出るとは限りない。運もあるのかもしれない。出会いも結果も、きっとそれぞれの人間にプログラミングされているものなのかもしれない。でもそうなると、人間の努力は意味がなくなってしまう。そうではないね。最後の最後は人間の意志を超えた意志、そういうものがあるように思う。

直ちゃん、私はこの頃前にもまして自分の死について考えるよ。どういう死が用意されているんだろうって。死を免れることはできなくても、死の形を希望することはできるといいね。

今日は夕礼拝があって隣のチャペルに行ってきました。神さまと私の関係は、繰り返し説教で語られる。だけどこの世に生きるもの、私たち人間の生きるところに、その神さまがどう関わっているのか、私たちはどのように隣人と関わっていけばいいのか、それがあまり伝わらない。

この小さなアパートの中に、礼拝だと知っていても出てこられない人がいる。病気なら仕方がないけれど、心を頑なに閉ざして出てこない人の姿を思うと、礼拝をしていてもたまらない気持ちになる。この人間の深い闇、耐え難い罪の縄目。目の前にイースターがくる。イエスさまが、心の扉を開けてくださることを信じて祈った夜の礼拝だった。