3月25日

ディサービスに行く。送迎車は、その日によっては三人また違う日には四人をpickupして運んでくれる。私のルートは、私の懐かし場所を通って一人の方を乗せる。とても懐かしい道だ。もう20年も経ってしまった。ある老人ホームに入居していた教会の先輩を看取った。たまたまの出会いだった。その方は道東の教会、私は札幌の教会。大きな合同行事で見かけたくらいの人だった。

いい出会いだった。今なら、家族でもあんな時間を持つことは出来ないだろう。その人を通して、私は人間の老いという現実をつぶさに見た。最終的に私は毎日そのホームを訪れた。ほとんどその人は眠っていた。私は起こさないようにそっと傍に座る。年寄りの眠りは浅い。すぐに目を覚まして必ずこう言った。

あら、今お迎えが来ていたんだよ。誰かがお迎えに来るらしい。ごめんね。私が邪魔してしまったね。ううん、引き戻してくれてよかった。それが本音だったのかどうかはわからない。でも、自分がその人と同じくらいの歳になって、どっちも本当だったのだろうなと思う。お迎えを待つ気持ちも本当なら、引き戻されたことを喜ぶ気持ちも本当。

お迎えに来る人はいつも同じではなかった。不思議だなと思った。そのお迎えは、話の中で主役のおかあさんやご主人ではなかった。その人は夜中の三時ころ静かに召されていった。あの時お迎えに来たのは誰だったのだろうと、時々思う。そして私を迎えに来てくれるのは誰なんだろうと。

その人の思い出と共に、ディサービスの車はすっかり雪が溶けた歩道を走る。