3月22日

緊急事態宣言解除、オリンピックの外国人入国禁止と、何かが動いている。直ちゃん、通訳ボランティアは必要なくなったよ。残念だし寂しいなとも思う。私だって街で道を聞かれたら、方向くらいは教えてあげられると思っていたんだけどね。私は高校までしか行っていないし、勉強熱心でもなかったけど、外国で困ったことはない。娘は有名な大学英文科を出て、学習塾で受験英語を教えるベテランだけど、オーストラリアでは手も足も出なかった。それは言葉を使う時、咄嗟に頭の中で正しい文法を考える。つまり一拍遅れる。私は突然、英語圏の日常生活に飛び込んで、間髪入れずに意志を伝えなくてはならなかった。文法なんか頭に浮かぶ時間もない。YES  or  NO?が飛んでくる。がむしゃらに理解し意思を伝えなくてはならない。アラン限りの単語を繋げる。それで充分生活はできた。

けれど一度だけ、宇宙人のようなおばあさんと対面して泣きそうになった。おばあさんは庭を通って家の前に来てガラス戸を叩いた。そして怖い顔をして叫び始めた。何か怒っていたのだと思う。でもさっぱり聞き取れなかった。ひたすらに謝った。身体中を使って謝った。おばあさんは頭をふりふり帰っていった。何を怒っていたのだろう。何を伝えたかったのだろう。もう30年も前のことだが、時々思い出す。そして申し訳なく思う。おばあさんも思い出す度腹が立ったことだろう。やっぱり、語学はしっかり身につけるべきだ。それは自分のためだけでなく、相手のために。

オーストラリアで親身に助けてくれた教会の婦人がいた。教会はありがたい。何よりも確かなパスポートだ。ある日食事に招いてくれた婦人が、私に宝ものを見せてくれた。それは彼女にとって、本当に宝物だったように思った。そして彼女は私にたずねた。これは日本に旅行した時に買った。これはいいものかどうか気になっていた。どうだろう。これはいいものか?私は唾を呑んだ。それは私のような素人が見ても、ひどい品だった。真珠とは名ばかりのまがい品だった。私は言葉が出なかった。日本を瀆すものだ。かと言って彼女が宝物にしているものを、フェイクだと言っていいのだろうか。結局は私は本当のことが言えなかった。うん、とてもいいものだと答えてしまった。これも30年以上、私の心の傷になっている。悔しくて、哀しくて、申し訳なくて。