3月14日

教会の友だちが今日老人ホームへ入居した。若い頃は、どんなにかもてただろうと思わせるいい男。80を超えてから、次々と故障が出てきて、自ら施設へ入った。今はコロナで、出入りは不可能と分かっていたけど、少し落ち着いたら教会への送迎をしてあげたいと思い、娘と共にその施設を探した。住所で当たりはついていたようだが、私の住むアパートからすぐ近いところだった。

受付で少し話を聞きたいと思って事務所に寄ったのだが、なんとも言えない暗く愛想のない事務員で、心が重くなった。

家族に迷惑かけたくない一心で決めた施設なのに、受け入れ先の職員の態度に、どこまでも寂しい年寄りの現実を見た思いだ。

翻って自分のことを考えた。今の幸せは明日にでも崩れるものなのだと、改めて重く受け止めた。私も娘も、彼のように施設に入る経済的な余裕はない。それではどうなるのか。それは考えても考えられるような問題ではない。

祈る。何も欲さないから、どうかあっという間に召してください。この祈りは年寄りみんなが必死に祈っている。思い煩うなと教会では教える。どんな時でも私がついていると、神は言う。

最後に心を落ち着かせるのは、たとえどんな最後になったとしても、それが神の私への愛なのだと、私を捉える手なのだと信じよう。信じたい。