3月2日

猛吹雪の1日が終わりに近づいている。どんな1日にも終わりがあるというのは、神さまの一番大きな恵みかもしれない。神さまのことは何十年教会に通い、説教を聴き、祈る言葉を覚えても、分からない。わからなくても、どれだけ苦悩を与えられても、神さまがいるということを、私は信じている。この世で信じてよいものは神というものしかないというように思う。人のわざは神の存在によって、最後には正しい道へと導かれると信じている。この自分の愚かな恥ずべき行いも、最後にはきっと神によって浄められると信じることしか、顔をあげて生きられない。

私は今82歳になった。直ちゃんも82歳になった。先の戦争を経験したものたちだ。戦争の時代、直ちゃんがどこでどんな生活をしていたのか、出会う前のことは分からない。聞いてみたかった。聞かなくても、出会ってからの時間が見知らぬ関係だった時間すらも想像できる。それって凄いことではないか。そんなに彼女との時間が濃密だったかといえば、違う。それも先に書いたことと同じ理由で、分かる気がするのだ。

戦争中、私たち家族は母の実家を頼って、東京から北海道へと疎開した。その地方都市は石炭産業で平和だった。今思うと、石炭というエネルギーのもとを全滅させておけば、戦いに有利だっただろうと思うけど、その町は非常に平和だった。そして豊かだった。

私たちが東京を離れたその夜に、東京大空襲によって東京は壊滅し我が家の全財産は灰と化した。戦争とは無縁のように豊かなその町で、家族五人は箸も茶碗もないところからの暮らしを始めた。食べるものもなく、糠を丸めてストーブの上で焼き、齧りながらご飯が食べたいと泣く幼い妹を世話しながら、私の小学校時代は過ぎていった。

五年生の時、戦争が終わった。ラジオもなかったのでお隣の家の縁側で雑音だらけの玉音放送を聞いた覚えがある。ただ、降るように聞こえていた蝉の声だけが今も鮮明だ。