3月3日

お雛さまを飾って健やかな成長を祈る日だ。なんと和やかな祭りだろう。ひな祭りが女の子の祭りであるように、当然のこと男の子の祭りもある。武者人形を飾ったり、兜を飾る。ひな祭りに桜餅を食べるように、端午の節句と名付けられたその日は柏の葉で包んだお餅を食べる。こんな美しい節句がいつのまにか男女平等の名の下に、「子どもの日」と呼ばれて一緒くたになった。いいことなのかどうなのかわからない。

我が家は男の子と女の子が授かったので、昔はちゃんと二つの節句を祝っていた。雛人形は亡くなった母が小さいけれど気品のある内裏様を買ってくれた。その雛人形は娘が50になった今でも、大事に飾る。その娘がこの母と自分のために、ちらし寿司を作ってくれた。祝う方は50歳、お相伴に与る私は80を超えた。昔は雛人形は三日が終わったらすぐに片付けるものと躾けられた。いつまでも片付けないと婚期が遅れるそうだ。もうこの家には婚期を気にする女の子はいないから、明日ゆっくり片付けようと思う。そして、来年も人形を飾れるように、ちらし寿司が食べられるようにと、祈ろう。

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こんな夜は母を思う。私は母の最後の日々を知らない。最後になる6年間、私は母に会えなかった。一卵性双生児とまで言われる仲の良い母と娘だった。何がどうなったのかわからない。いや、自分が悪いのだと思うことでしか、心の痛みに耐えることはできない。その時間の延長上で私は母の遺産相続から外された。膨大な土地家屋は末の弟と妹が相続した。

私は今、娘の世話になりながら母と過ごした長い時間を反芻している。人はみなこの世を去る。去る時には何一つ持っていけない。もしかしたらこの思い出も消えてしまうのだろうか。辛かった思い出は消えてもいい。ただ、娘が作ってくれた今日のちらし寿司の味だけは、忘れずに持っていきたい。