3月23日

直ちゃんどんな具合ですか。リハビリを励んで、自由を少しでも取り戻していますか。いつでも全力で挑戦する直ちゃんだから、この試練もきっと乗り越えるよね。直ちゃん、掛け声をかけるしかないけど、毎日、朝起きると、直ちゃんおはようと言っている声、聞こえるよね。おやすみなさい。お買い物に行こうと、直ちゃんと一緒に生きていること、知ってるよね。

今日は札幌もとても暖かった。東京は桜が満開だそうだよ。一緒に桜を見にいったね。井の頭公園にも一緒に行ったね。東京はこの時期街中が桜一色になるから、中央線の車窓からでもお花見ができるね。

私は父の仕事の関係で二十歳の頃札幌に来てしまった。もう東京生活より札幌での時間の方が長くなった。いつの間にか私は北海道の人になった。でも中学生高校生という、多感な時代を過ごした東京の匂いは、私にとって故郷になっている。羽田に降り立つと、その途端にアスファルトが焦げたような匂いがして、ああ東京に帰ってきたと思う。

直ちゃん、私はもう自由に一人では歩けなくなった。時々「もし戻れるとしたらいつに戻りたいか?」と聞かれることがある。そんな時、私は「もう二度と人生を歩き直すのはイヤ。」と答える。もう一度生き直す勇気はない。きっと何度生き直しても、私は同じような生き方しかできないだろうから。器用には生きられなかった。どう考えても割りの合わない人生だった。

でももう一度生き直せるのなら、ほんのちょっと前、母との時間を生きられたらと思う。父とは最期の時までそばで生きた。でも母とは引き剥がされたまま最期には会えなかった。召される前の6年間の母を私は知らない。それだけが心に哀しみとなって重くのし掛かっている。

神さまがいるのなら、この命に続きがあるのなら、もう一度母と会いたい。この想いは歳と共に日毎に強くなる。今、娘が忙しい時間を工面してシャンプーをしてくれたり、食事の支度をしてくれる。私も母にこうしてあげたいと、心の底からそう思う。それほどに私は今娘に守られて幸せでいるから。

あの世とやらがあるのなら、そこで母を探そう。私がすっかり老いてしまったから母は私が分かるだろうか。私は母が見つけられるだろうか。母の好きだった梅の花がまもなくほころぶ。

3月22日

緊急事態宣言解除、オリンピックの外国人入国禁止と、何かが動いている。直ちゃん、通訳ボランティアは必要なくなったよ。残念だし寂しいなとも思う。私だって街で道を聞かれたら、方向くらいは教えてあげられると思っていたんだけどね。私は高校までしか行っていないし、勉強熱心でもなかったけど、外国で困ったことはない。娘は有名な大学英文科を出て、学習塾で受験英語を教えるベテランだけど、オーストラリアでは手も足も出なかった。それは言葉を使う時、咄嗟に頭の中で正しい文法を考える。つまり一拍遅れる。私は突然、英語圏の日常生活に飛び込んで、間髪入れずに意志を伝えなくてはならなかった。文法なんか頭に浮かぶ時間もない。YES  or  NO?が飛んでくる。がむしゃらに理解し意思を伝えなくてはならない。アラン限りの単語を繋げる。それで充分生活はできた。

けれど一度だけ、宇宙人のようなおばあさんと対面して泣きそうになった。おばあさんは庭を通って家の前に来てガラス戸を叩いた。そして怖い顔をして叫び始めた。何か怒っていたのだと思う。でもさっぱり聞き取れなかった。ひたすらに謝った。身体中を使って謝った。おばあさんは頭をふりふり帰っていった。何を怒っていたのだろう。何を伝えたかったのだろう。もう30年も前のことだが、時々思い出す。そして申し訳なく思う。おばあさんも思い出す度腹が立ったことだろう。やっぱり、語学はしっかり身につけるべきだ。それは自分のためだけでなく、相手のために。

オーストラリアで親身に助けてくれた教会の婦人がいた。教会はありがたい。何よりも確かなパスポートだ。ある日食事に招いてくれた婦人が、私に宝ものを見せてくれた。それは彼女にとって、本当に宝物だったように思った。そして彼女は私にたずねた。これは日本に旅行した時に買った。これはいいものかどうか気になっていた。どうだろう。これはいいものか?私は唾を呑んだ。それは私のような素人が見ても、ひどい品だった。真珠とは名ばかりのまがい品だった。私は言葉が出なかった。日本を瀆すものだ。かと言って彼女が宝物にしているものを、フェイクだと言っていいのだろうか。結局は私は本当のことが言えなかった。うん、とてもいいものだと答えてしまった。これも30年以上、私の心の傷になっている。悔しくて、哀しくて、申し訳なくて。

3月21日

宝塚をご存知ですか?東の東大、西の宝塚と言われるほど、高度な技術を鍛えて高校生くらいの年齢の子どもたちが、幼い頃から憧れて夢見た宝塚音楽学校の受験に臨む。受かってから二年くらいの厳しいレッスンを受け、初舞台を踏む‥‥‥と聞いている。

私が初めてその舞台を見たのは、中学生の時だった。なんとそれは父が連れて行ってくれた。特に芸事が好きな人ではなかった。質実剛健な人だった。どう考えても宝塚とは無縁な人だった。ずっと後になって、そのことを妹たちに話した時、妹たちは声を揃えてこう言った。お父さまはラインダンスが見たかったのよと。私は思いもよらなかったが、早熟な妹たちは、私より「男」を知っていたのかな。そして父は父である前に一人の男だということを。

その時からずっと時間が経って、私はあの時妹たちが言っていたことを、ああ、そうだったのかなと、とても優しい気持ちで理解できるようになった。

健康だった父も加齢に打ち勝つことはできず、しばしば入院するようになった。そんな頃、病室に付き添っていた私は、点滴を取り替えにきた看護師さんを追う父の目を見た。その目は60年間、私が見てきた父親の目ではなかった。明らかに父の目ではなかった。90歳を超えてなお女を見る男の目だった。私は何故かその時、父を愛おしく思った。もう目の前に死を迎えているのに、私や母を見る目とは違う強い眼差しだった。おかしかったけど、いいなと思った。こういう人間の本能が、きっと人間を生かしているのだろう。

昨今、ジェンダーの問題が沙汰される。男と女しか世界にはいないと思っていたが、男と女が一つ体を共有しているのだろうか。中学生の頃、上級生に憧れたりした経験はおそらく誰もが肯定するだろう。ただそれは憧れという気持ちの問題だった。今話題に上るのは、性的に吸い寄せられること、それは憧れを遥かに超える、もっと強くもっと激しい本能の欲求なのだろうと思う。

なかなか難しい問題だ。一般論として考えることはできても、それが自分の身近な人だったら?私には即答出来ない。宝塚に憧れる気持ちの中には、多分に倒錯した感情があると思うけど、理想的な美しい男性を演じるタカラジェンヌたちも、退団すると男性と出会い結婚もする。面白い。

最近若い男の子たちが美しい。韓国の俳優さんたちも美しい。やっぱり男の子に熱をあげておくほうがいいんじゃない?

3月20日㊗️

明日が日曜日なので二日の連休。この緊急態勢下でみんなは連休を楽しんでいるのだろうか。あずましくない休日だろうに。春のお彼岸なのでお墓参りをする家族も多いかもしれないが、北海道の墓地はまだ深い雪に埋もれている。スコップを担いで墓地に行き、まず雪の中からお墓を掘り出すことから墓参りは始まる。これも雪国の風物詩かもしれない。

少しずつ整理を始める。夕方になるとほんのちょっと体力を感じるので、まずはテーブルの上を片付けよう。食事をするのも手紙を書くのも、空き地を作ってからでなくては出来ない。整理を始めると、一通ずつ直ちゃんの手紙が出てくる。その度に作業は中断されて手紙を読み始める。直ちゃんは視力の落ちた私のために、大きな字で書いてくれた。繰り返し繰り返し、焦らないでゆっくりゆっくりだよと書いてくれている。直ちゃん、この手紙を書いている直ちゃんは、杖をつきながらも近所を歩きバスに乗って駅前の商店街に行き、便箋と封筒を買って、私への心遣いを綴ってくれている。どこで書いたのかなあ。キッチンのテーブルかな。何度か訪ねて泊めてもらったあの家の中に、なおちゃんを置いてみる。

直ちゃんの家は建築雑誌に載りそうな、おしゃれで素敵な家だった。ただその分吹き抜けの部屋はとても寒かった。北海道の家は、食事を減らしても暖房と言われるくらいに、真冬でも暖かい。私はずっとアパート暮らしだけれど、暖かい。だから余計に部屋の寒さが堪えたのを思い出す。直ちゃんのところはご主人とのtwin comeだから倹約してのことではない。ただ、人が生きる環境の違いは面白いと感じていた。

私は沖縄で働いたこともある。沖縄は冬がないと思っていたが、冬の季節になると、なんと雪国と同じようにダウンコートを着るのを見てびっくりした。それも環境の違いが勝手な思い込みを持たせるのだと気づいた。オーストラリアでも働いた。外国に行くと感じることは、季節にも環境にも彼らは縛られないようだということ。片方はコートを着てて片方は半袖のシャツという姿をたくさん見た。暑がりの人もいれば寒がりの人もいる。だから周りと同じにする方がおかしい。日本人はなかなかそのように生きるのは難しい。どうしても周囲と同じにしなくては恥ずかしい。その顕著な姿が制服らしい。私たちは子どもの時から、いつも友だちと一緒にして育てられたから、一人浮くのが恥ずかしい。それでも最近若いお母さんが、真冬でも素足の赤ちゃんを抱いていたりする。それはそれで、ちょっとびっくりする。きっとその子どもたちが大人になる頃には、今よりは個性を尊重する世界になるのだね?

私は多分そういう自由な社会を見ることはないだろう。きっと素晴らしい未来がくる。他人の目を気にしないで、自分の個性を生々と表現した社会が!

3月19日

この世に天国はないんだと、今日もまた思い知らされた。80年以上も生きてきて、それは心の底から肝に刻んだことなのに。甘いな。また、天国を見つけたことにぞっこん酔っていた。天国の裏には心傷つき疲れ果てている存在がある。そのことに気付かされた今日は、めっちゃ疲れた。身体が疲れることは日常だけど、心が疲れる感覚を久しぶりに感じた。

罪に染まった人間の住む世界に、天国などあるわけがない。だから殊更、驚くほど無垢ではない。何故こんなに疲れたんだろう。最後の住処にきっと夢を見たかったのだろう。懲りないね。

直ちゃんどのくらい回復したのだろう。あなたは諦めない人だから、きっと厳しいリハビリに立ち向かっているのだね。直ちゃん、オリンピックするみたいだよ。不思議に思うけどね。来週には聖火が走り始める。ボランティアで通訳をしようと思うって言ったよね。すごく嬉しかった。都のボランティアに登録したけど、80のおばあさんが出る幕じゃないかなって言う手紙が届いたのは去年だった。私はその手紙にちょっと違和感を感じた。う〜ん、直ちゃんらしくないなって。オリンピックは始まるから、ちょっと間に合わないかもだね。

それから、こんなことも話してくれた。これは冬の競技だけど、カーリングをしてみたいって。カーリングなんてよく思いつくなと私は不思議だったよ。私はその時すでに、身体がすっかり衰えていたから、本当にびっくりした。カーリング体幹がしっかりしていないとね。直ちゃんはそんなふうに、チャレンジ精神が旺盛な人だから、リハビリもきっと積極的にしているだろうと思う。

春まだ浅い一日。久しぶりに生きることの闇を垣間見た一日だった。

3月18日

メイン道路の雪はほとんど溶けて、夏ぐつでも歩けるほどになった。雪国にやっと春の兆しが見えるようになった。と思っていたら、今日はひどく冷え込んでチラチラと雪まで降ってきた。春は名のみの風の寒さよ♪♪

木曜日はディケアというのに行く。行くと言ってもdoor to  door 。送迎車に連れて行ってもらう。介護保険という保険料を長いこと払っている。その保険が役立つようになった。風呂やトイレ、部屋の中に手すりもつけてもらった。その工事費は一割負担。毎月、使用料を支払う。年寄りは家庭と国の財政を圧迫している。これからこの傾向はどんどん大きくなるのだろう。年寄りが長生きをして医療費も食い尽くしていく。若い世代の負担は、きっと限りなく増えていく。早く死にたいとか、死ぬのは怖くないと年寄りは口にする。そのくせちょっとどこかが痛いとさっさと病院に行って、増える薬を大事に抱える。

こんな年寄りになりたくなかったのに、私ももうじき83になる。絶対嫌だと思っていたディケアにも皆勤賞。毎日ストレッチをし健康のためにサプリも飲む。嫌だ嫌だと思いながら、もしかしたら長生きしたいのかもしれない。ディケアに集まる人たちはそれぞれに環境が違う。一つだけ共通点があるとしたら、一人一人が抱える孤独がある。その孤独はディケアで癒されはしない。しないけれど、週に一度の短い時間に、孤独なのは自分だけでないという、一種の仲間感覚を感じる時。自分がこの社会の一員だという安心。この社会にある居場所。社会を作っている一つの世界の存在を肌で感じる。一人で家の中にこもっていては、絶対に知ることがなかった世界観。自己認識。

ああ、私は後期高齢者なんだ。

3月17日

コロナに対する緊急事態宣言が解除されると発表された。感染者数が日増しに増えているのに、この先どうなるのか。恐ろしい。数字に支配されるわけではないけれど、抑止力の一つになっていると思う。この状況でこの危機を乗り越えられたら、それは素晴らしいことで、人間の底力を確信する。大きな賭けだと思うけれど、勝って欲しいと心の底から願う。

直ちゃんどうしていますか?苦しいリハビリの毎日なのだろう。直ちゃんの庭の桜もきっと綻び始めているよ。去年、満開の桜の写真を送ってくれたね。すぐそばにある大きな桜の木の写真も送ってくれたね。東京はこれから街全体が桜に染まる。私は吉祥寺だったので、家族でお弁当を持って井の頭公園に花見に行った。池の湖面に張り出して咲く桜のなんて綺麗だったことか。

やがて父の仕事の関係で、北海道札幌に暮らすようになってもう60年になる。東京で暮らした年月をはるかに超える。それでも私の心に咲く桜は、井の頭公園にある。札幌にも桜がたくさん咲く。けれど何故か、桜の儚さがない。ソメイヨシノと違って、風にたなびくか弱さがない。そう言えば、沖縄でも桜が咲いた。土地によって木の種類が違うのは何故なんだろう。その土地の風土で育つ木や花が増えていくのだろうか。北海道でソメイヨシノは育たないのか。分からないけど。

生きているうちにもう一度、井の頭公園の桜が見たい。