3月11日(東日本大震災)

10年経った。津波の情景が恐怖と共に甦る。そしてあっけなく崩壊していった東電の原子炉。広島の原爆が一気に身近なものとなった。

地震は火山国の日本にいつもつきまとってきたものだけれど、喉元過ぎればの喩え通り、臨場感は薄れがちだ。しかしこの災害は、地震が伴ってもたらした災害の大きさによって、人々の記憶を薄れさせることはない。津波と原子炉の傷跡は日毎に記憶を深く抉り続ける。

10年という時間は、どのようにこの未曾有の災害に関わってきたのだろう。時間は生きているから災害に心を寄せ続けることは出来ない。正直なところ10年前の災害より、今日の自分のことの方が深刻だ。折しも、1年前からこの地球を脅かしている、新型コロナというウイルスから身を守ることの直接的な闘いが、今の私たちの切実な課題だ。どうしよう。私たちはどう生きたらいいのだろう。

10年の節目に考えることは、災害に対して何らかの助け手になることより、その時自分がどう対処するかという守りの姿勢でしかない。これが人間の限界なのか?私は自分の足で満足に歩けない加齢障害者になった。これでいいのかなどと、口にするのもおこがましいのかも知れない。それでも私は自分に問う。これでいいのか?何ができる?人間って弱い。哀しい。恥ずかしい。生きていることを申し訳なく思うのなら、お前の力で何かしてみろ。何も‥‥出来ない。今日一日の命を、生き延びたことを、喜び感謝して、笑顔で明日を迎えたい。