3月4日

介護認定を受けた者が、リハビリを兼ねて通う施設がある。内容も時間も様々で自分に合ったところを選べるようになっている。食事や入浴介助のあるところもあるし、リハビリに特化した施設もある。ディサービスと言われている。

今日は私のディサービスの日だった。私はリハビリ特化型と言われる施設を選んだ。かれこれ三年くらいお世話になっている。三年の間に約一年くらいのブランクがある。二度の骨折、肺炎、脳梗塞と、立て続けに病を得た。

久しぶりの施設はコロナの影響で様変わりしていた。すっかり人数が減って、広い空間にポツンポツンと利用者が座る。指導員も利用者もマスク着用。消毒の徹底。黙々と与えられるプログラムをこなす。こんな時間と空間の中に自分がいることに、なかなか慣れるものではない。けれど、時間を過ごす中で感じるのは、歳をとることの悲哀だ。歳をとることは公平にやってくる。健康不健康、裕福貧困、学歴、美醜。この世に生を受けるや否や、私たちが直面するのはこの世の不条理不平等のように思う。この歳になってしみじみと思うのは、人間に与えられている「運命」と呼ばれるものだ。

人は生まれることそのものが、自分の意志に関係ない。親を選ぶことなど出来ない。命そのものが自分のものではない。

思いに関係なく、与えられるものをひたむきに黙々と生きるのが人間だと、ディサービスに身を置いて心底思う。徹底して思う。あぁ、80年生きてきて、私は初めて平等な世界にいる。そんなふうに思う。

直ちゃん、あなたとそんな話がしたい。そんな話ができる歳に、私たちはなったのだね。平等な生きにくさを、平等に分かち合える歳になったのだね。直ちゃん、どこにいますか?