3月6日

直ちゃん今どこにいますか?この問いを毎日繰り返す。この問いは、私はこれからどうなるのか、人間はどういう形で次の世に行けるのか?若い頃も同じように問い続けただろうけど、若い頃は一般的な思いだった。今こそ、自分自身の時間の中に、避けて通り抜けることのできない関門として立ちはだかってきた。唯一の友が一足先にその門の前にいることで、問いは一般的なものでなくなった。自分自身のこととして、思っていたよりずっと恐ろしい形相で迫ってきた。

死は恐れないと思ってきたけれど、実はものすごく恐れている自分に戸惑っている。

人生は過酷だった。孤独だった。迷路を彷徨ってきた。常に死にたいほどの悲哀と道連れだった。何度も自死を試みた。叶うことなく、とうとう運命を受容して歳を重ねた。そしてあれほど希った死を恐れている。

受験の季節だ。悲喜こもごも。誰もがそれなりの時代を生きる。もう、死んだ方が楽だと思う時を、何度も何度も人は生きる。憎しみ、怒り、悔しさ、恥、消しゴムがあったら消してしまいたい。そういう時間を、やがて愛しく思い出す時がくる。その自分だけのかけがえのない時間、それらはどこに行ってしまうのか?

直ちゃん、あなたは私と生きたたくさんの時間を覚えているの?