2月28日

二枚目のカレンダーを取り除いて、明日から弥生。三月は人の動きが多くなる。卒業、移動、引っ越しなど喜びや期待が膨らむ月。

中学生の時に出会った直ちゃんとは、高校生活も一緒だった。高校は都立で、その頃は都内で三番目の高学歴を誇る進学校だった。

その高校はいわゆる男子校の流れにあった。昔は女子校と男子校という二つの特性を持って教育はなされてきた。男女共学になったのは、戦後のことだ。もともと男子校だったその高校は、かなりのハイレベルだった。私は中学校の時担任に可愛がられて、実力以上のはったりで生きていた。直ちゃんは高校から大学への進路をその頃からしっかりと見据えていた。

その年、その高校への願書は定員を下回った。つまり願書を出したものは全員合格した(?)。無試験で合格したという私のくだらないプライドが、その後の私たちの進み方に大きく影響を与えたと思う。一年の時に三年間の教科書を履修させて、ニ、三年では大学試験のための勉強に集中させるという、その高校での教育方針から私は完全に落ちこぼれた。

女は大学に行く必要はないという明治生まれの父の方針で、私はその学校に居場所を見つけられず、十二指腸潰瘍という病気まで作ってしまった。病気を隠れ蓑にしたのだろう。

一方、直ちゃんは浪人をしてまで初志貫徹して大学生になった。努力家だった。弱音を吐かない誠実な人だった。

それからの私たちの間は、接点がないにもかかわらず、ずっと続いてきた。不思議な思いもあるけれど、大学生の直ちゃんと、ドレメに通ったりしてメリハリのない生活をしていた私は、不思議なことにずっと友だちだった。

私は直ちゃんに対してこれっぽっちも僻みを感じなかった。大学生の直ちゃんを羨む気持ちもなかった。それは、たぶん、両親への敬愛が私にある種の誇りを持たせたのかと、思ったりする。それと共に、直ちゃんの生きる姿勢を私は尊敬をしていたのだろうと、思う。

黙々と努力する人。暖かく素直な人。私の持っていないものを彼女は持っていた。きれいな人だった。

直ちゃんは大学時代に知り合った人と結婚した。私は父の仕事の関係で北海道という北の国で青春を送ることになる。